ランニングのスピードが遅くなって感じる心の成長

ランニングアイキャッチエッセイ

最近、ランニングのスピードを遅くすることでランニングの習慣が前よりも続けられるようになりました。ランニングのスピードが遅くなった変化には心の成長があったと感じたのでそのことについて綴っています。

辛すぎるランニング

ランニングを始めようと思って始めてみても以前は3日坊主になっていました。理由は無理をしていたから。昔の野球部時代の記憶をたどってかなりのスピードで走っていました。

いつも走っているランニングコースは3kmほどですが、走り終わると吐きそうなほど息が上がってグロッキーになるほどのスピードで走っていました。

無理して走る画像

無駄な対抗意識

競争する画像

他のランナーに過剰な対抗意識を燃やして、抜かされようものなら全力疾走して抜かし返す不毛な勝負を挑んでいました。周りの人全てがライバルという意識がありました。

この時には自転車に対しても、「ランニングと思って、なめんなよ!」と無駄な対抗意識を燃やして勝負を挑んでいました。

過剰な羞恥心

対抗心と共に、自意識過剰な羞恥心もあったと思います。あまりにゆっくり走っていると

「あんなにゆっくり走って恥ずかしくないの??」「そんなにゆっくり走って何になるんだか??」

と思われていないか心配になっていました。

陰口のイラスト

辛すぎるから続かない

そんな無駄な対抗意識と過剰な羞恥心で、体力を極限まで削ったランニングは「今日は休憩しよ」と思ったら最後。またやる気が再燃する数ヶ月後まで二度と行うことは無くなっていました

三日坊主のイラスト

適度なランニング

以前の自分とは変わって、今ではゆっくりとしたランニングを続けられるようになりました。自分の中では大きな変化で大きな成長でした。それはちょっとマインドが変わったためだと感じます。

昔と今は違う

毎日のように部活で運動をしていた時とは根本的に違うことを認識しました。(今更感はありますが。。。)

今は仕事など様々なタスクをこなしながら、合間を縫って運動しています。自分の時間の大部分を部活に使えていた時とは体力が落ちているのは当たり前。ランニングのスピードが遅いのも当たり前だとやっと認識できました。

疲れたら歩いたっていい。1日休んだっていい

休んでいる画像

続けるために、キツすぎないことが大切だと気付きました。ランニング中に疲れたら歩いたって、なんら恥ずかしいことではないんです。歩いている人と同じぐらいの速さでもいいんです。

何か目標に向かって努力を続けている。そのこと自体が尊くて、大切なんです。今の実力なんて関係ない。続けていればいつか実力はついてくるものです。

周りは気にしていない

自分は自転車を漕いでいて、ランニングの人に抜かされたら何か思いますか?

ゆっくりランニングをしている人を見て何か思いますか?

ランニングウェアを身につけて歩いている人を見て何か思いますか?

私は何も思いません。(そもそも、目に入らないと思います。)ランニングが遅すぎて恥ずかしいとか、そもそも間違った感情なのです。

あとがき

無駄な対抗心や過剰な羞恥心、厳しすぎる自分を捨てて、自分を許せるようになりました。疲れたらちょっと休んだっていい。ゆっくり自分のペースで成長すればいい。続けることに意味がある。

ランニングのスピードが遅くなったことで、そんな心の成長を感じられました。どんなに下手でも、どんなに不恰好でも動じなくなった私のメンタルで色々なことに挑戦していきたい。そんなところです。

それでは、また!

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