世の中にある良い偏見と悪い偏見

偏見を抗議する写真エッセイ

最近は偏見や差別に対する意識も世間的に高まってきています。テレビを見ていて未だに偏見を話しているものもあるりますが、立ち止まって考えると良い偏見もあるのではないかと思うものもありました。そのことについて書いています。

エンジニアの世界でも広がる無差別表現

私が働いているエンジニアの世界でもこの流れを感じることがある。コード(システムが動く元になる元)を管理するデフォルトの名前をmasterからmainに変わったのである。

※エンジニアの方から指摘を受けないように誤解無く書くと、GitHubで作成するリポジトリのデフォルトのブランチ名がmasterからmainに変更になった。

masterはslave(奴隷)を連想されるため今の流れに合っていないという判断とのことだ。

このような流れの中で、偏見を無くしたり、カテゴリーに区別しないで個を尊重するために様々な場面で言葉を選ぶようになった。何気ない一言でも・偏見にならないか・無意識に差別的な表現を使っていないかなど気を遣うことが多くなっている。

一方で、まだ過渡期なのか、テレビを見ていると”偏見”を垣間見ることがある。昔なら気にしなかったが今は少し気になってしまう。ただ、気になって、立ち止まって考えてみると偏見には2種類あるなと思った。

テレビでの見つけた偏見

テレビ番組のイラスト

テレビを見ていると「男は家事も育児もしない」とか「男なのにクヨクヨしすぎだ」とか「老人はダメだ」とか「若者はなってない!」とか色々な偏見が見られる。

立ち止まって考えてみる。

男や女、老人や若者など大きなカテゴリーに括って決めつけることを偏見というなら、これはその偏見を抱くプロセスで2種類に分かれると思う。

1つ目は純粋な偏見。2つ目は諦めの偏見である。テレビでは純粋な偏見はあまり見られず、諦めの偏見がよく見られる。結論、私は諦めの偏見は残っても良いのではないかと考えている

純粋な偏見

教育を受けるイラスト

純粋な偏見は今まで生きてきた中で培われるもので、ジェンダーによる偏見とか年齢による偏見とかだ。

「一般的に男は」とか「一般的に女は」とか「一般的に老人は」とか具体的な対象はいないが一括りにまとめて画一的な見方をすることだと思う。

これに関しては時代の流れと共に消滅して行くものだし、消滅すべきものだと思う。

元々偏見や差別をなくす流れの本質は誰でも生きやすい社会を作ることにあると思う。この偏見は生きやすい社会には繋がらないため消滅すべきということである。

諦めの偏見

偏見のイラスト

諦めの偏見とは具体的な対象がいて、その対象と結びつけた偏見だ。例えば、家事をしない夫がいて「男は家事をしない」と決めつける。高圧的な上司がいて「これだから老人はダメだ」と決めつけるなどだ。この場合は夫や上司など具体的な対象がいて、それを拡大解釈して偏見に繋がっている

私はこの”諦めの偏見”は言わば”優しさの偏見”とも取れると感じた。つまり、夫は家事をしないと言ってしまうと夫を攻撃してしまう。そのため、男と大きく括って、どの夫もそうでしょ?と諦めているのである。(老人・若者・女性の場合も同様に明確な対象がいる場合は諦めの偏見になる。)

夫を攻撃したくなくて、偏見を使っているという点では優しさの偏見とも言える。

結び

純粋な偏見と諦めの偏見で、純粋な偏見は無くした方が生きやすくなると思う。でも諦めの偏見は無くしても生きやすくならないと思う。

何度も夫の例で恐縮だが、諦めの偏見を無くした場合は夫を攻撃することになるから。

諦めの偏見は個人的には無くさないでほしい人が多様に生きやすくするために偏見をなくす流れがあるのに、逆に生きづらくなってしまうと思うから


 

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